安らぎの種類

その当時の私服自体が現地迷彩(挨拶)
休日に厠でゴルフクラブやらを磨いたり、女王様に責められて昇天するのも、人それぞれで何にそしてどのように安らぎの感じるかはそれこそ人様々だ。
さしずめ小生は、休日にゴルフクラブを厠で磨いたりせんし、「何だコリャ、まるで犬の小便だ」「では、アナタはそれに準ずる者を飲んだことがあるのですか?」「三丁目のマリア様のだよ」「アレは、聖水です。」の問答なんぞもやったりせん。
まぁ、せいぜいVTRを見ながら、茶なんぞ飲みながら笑ったり泣いたりするのが小生の安らぎを感じたりする。
これらは、している事によって得られる安らぎであって、何かをした後に得られる安らぎとは若干違う。
登山をやっている人は、頂上に到達した後は果たして、達成感と安らぎどちらが出てくるのだろうか?
今回の話、といっても小生自身が、望んで行ったとある宗教都市の話をしよう。
まるっきりノリが、ある奴に似ているが、この話の元ネタはすでにそいつとだいぶ前にしているので形容をパクッテも別段問題ないだろう。
ほら、オレンジレンジとか言うどこぞの電化製品もやってることだし。
なにぶん古い記憶であるから記述の描写に間違いが多々あるかもしれないがそこは割愛である。
そう、アレは大学に入っての最初の夏季休講の時期であったか。
大学の同期と、先輩とである祭事に参加するために遠出をして、その祭事に一日目を終えその日の宿に向かう前に小生がどうしても寄りたいといってみんなで寄った場所である。
その場所へ行くにいたっては、同期も先輩も嫌がることもなく、むしろ乗り気だった。
ソコに着いたとたん、目の前が明るくなった。
道を行く人々は、みな信仰心が深そうそうな人々で、その宗派の衣装を身にまとい、立ち振る舞いには生気が満ち溢れており、うつむき加減であるが目がなんともいえない輝きを走らせていた。
中には、その当時の小生では、難解であった高度な呪文を唱えながらなにかと対話する賢者すらソコにはいた。
そして彼らは、至福に満ちた顔で町の中に消えていく。
小生は、先輩の案内をもとに一つの寺院に入った。
その寺院は小生が一度は訪ねてみたいと思った寺院の一つだ。
それは、オレンジと黄色で外見を彩られたの塔で、小生たちは塔の一番上から下へと順に見て回った。
階層によってどの様な様相だったかは忘れたが、神体を扱った層、貴重な経典を扱った層と様々だったが、それを見て回った小生はまさに心が躍っていた。
そして、各層に訪れていた他派の信者達もまさに生気に満ちており、中には歓喜に打ち震えているように見えるものさえいた。
自分の内なる声は言った、「ここが、あなた望む所であり、いるべき場所だと」
しかし、小生は祈祷を行っている信心深い信者を見ているとどうしてか、チョップをから竹割をしたくなったのは、内緒である。
小生たちは寺院を出てすぐの出店で、ドネルゲバブと言う中東くんだりの食べ物を食べて宿に向かいその日の疲れを癒した。
その町は、たくさんの信者が毎日訪れるがそれ以上に世界に向けて、あらゆる形で形のない布教を行い、何処とも知れぬ空の下で無作為に信者を生み出しては、さらに宗派を増やしていく、しかし、その宗派同士は、決して激しくぶつかったりすることはない。
例外はあるが、Xに関しては、

その町の名は千代田区外神田。
通称「秋葉原」である。

用は、アキバ行って楽しかったよって事である。
めでたしである。