アジアも

日本です(挨拶)
最近幼女を襲ったりするのがどうも社会現象というかナウいヤングの流行らしい。
よくこの手の犯罪においてワイドショウ汲んだりのコメンテーターとかが「幼い子供を襲うなんて許せないですねぇ」などと怒っているのかどうか微妙な抑揚の声でしゃべっているが、テリー伊藤あたりはゲンドウさんみたいに腕組みながら唾を飛ばしながらしゃべるだろう。
それはそれでおいといて、上記であげたように幼女を襲ったりするのは社会的にいけなかったり、卑怯なことらしい。
今さながらである。
ということを踏まえて、社会的に許されるどころか褒め称えられるような変質者をここで創造しようじゃないか。
まずは、テレビでは殺しの標的に「幼い子供」を狙ったことが卑劣であるという風潮がある。
いまさらながら、子供というのは未来があ(るかどうかはしらないが)り、人生の黄金時代を享受し老い先長い人生?を「末は博士か大臣か」と言われながらまったく違う職業などに就いたりする存在である。
この日記を読んでいる少年時代という黄金期の真っ只中を生きるものは、将来のために今をかみ締めながら生きるといい。
形は無いが貴重な財産となるはずだ。
とにかく、殺しの標的を「幼い子供」から「屈強な大人」に変えよう。
そんじょそこらの親父を狙ったのではただの「親父狩り」に成り下がり変質者としての位階を下げるだけである、なるべく肉体的に屈強な筋金入りを狙うべきだろう。
例を挙げるなら集団なら海兵隊か、一個人ならセガールあたりが極上だろう。
海兵隊なんぞ襲った日には、脳天に鉛球一つで昇天だろう。
もしくは、ナイフで昇天である。
そしてセガールにパンチを繰り出せば、手が本来曲がる方向の逆に曲がるか、なぜか後ろを取られているといった具合である。
たとえ小生がただっぴろい平原で散弾銃を構えセガールを団子虫のような状態から殺そうとしても勝てる気がしない。
むしろ、どういう原理か知らないが引き金を引いた瞬間に自分の頭が散弾銃の餌食なっている想像の方がが容易にできる。
正直セガールに対しては、勝つ条件が見当たらん。
やつは間違いなく決戦存在級の強さを持っているだろう。
こいつらをしとめることができれば、世界最強を名乗っても差し支えは無いだろう。
例に挙げたやつらを殺すことができれば、テレビでも「賞賛に値する勇敢な犯罪者」として褒め称えられその日を祝日として、三日三晩犯罪者のことを称えるだろう。
何が言いたいかというと、「健全な体に健全な精神が宿るなら、不健全な体には何が宿るのか?」回りくどい上にわかりにくい前ふりである。