乗りと勢いだけの発言 第二回 「遺伝子組み換え」

乗りに乗って、脳内の膿を垂れ流してみよう(挨拶)
仕事から帰って、茶菓子をつまみながらテレビのチャンネルをいじっていたら、「遺伝子組み換え」の食品や、動物の話題をやっていた。
ニュースでは黄色いジャケットに「遺伝子のふるさと(以下略)」だが書いた人が、遺伝子組み換え野菜等の反対デモや、遺伝子組み換え野菜に理解を示してもらうための公開植え込みの場で畑に足を突っ込みながら、「植えるのをやめろ」といっては、植え込みをしている人に「足をどかせ」の問答をやっていた。
小生自体は、遺伝子組み換えの食品や、動物を悪く言うわけではないのだが、後者の公開植え込みの現場に現れたデモ隊は、ちゃんと許可もらっているのだろうか、ニュースを見た感じでは、


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広くもなく狭くもなく、豪奢でもなく、質素でもない執務室で、男は書類に判を押していた。
そんな部屋に、息を荒げた中年の男が部屋に飛び込んでくるなり、つばを飛ばさんばかり叫んだ。
遺伝子組み換え反対党党員(以下、党員)「同志委員長大変です。」
遺伝子組み換え反対党委員長(以下、委員長)「どうした、何を息荒げている。同志農耕検察遺伝子委員長(仮)よ」
党員、「遺伝子組み換え野菜(穀物?)の公開植え込みがあります。」
委員長「何、それはいつだ!?」
党員「明後日です。」
委員長「すぐに、同志諸君を集めろ!
     デモをやるぞ!
      内務遺伝子委員長に、公開植え込みを行う改造者(コーディネータでもOK)どものメンバーを洗わせろ。
       そして、ゲバルトをけてやるのだ。
        いかに、遺伝子組み換え野菜(穀物?)がいかがわしいものか糾弾してやるのだ」
などと言う、三文劇が脳内で繰り広げられたが、さすがにこれは、どうだろうか?
いろんな意味でやばいなこれではまるでアレな人の集まりだな。
頭にポンッと出てきたのがそれだから仕方が無い。
イギリスと違って。<たしか、現体制に関して批判的なデモ、放送、出版物を取り締まる法案が議会でどこぞの党が提出したとかしないとかを、朝の、BSワールドニュースでやってたのをみた。(そんな法案否決するだろうが)
ここは、法治国家であり、内心の自由も、表現の自由もある程度保障されている。
だから、小生は、反対すること自体に悪くは言わないし、反対するのも自由である。
だが、如何せんやり方がまずいと思う。
小生は、極端に話し合い主義者であり、極端に衝突・闘争になるのを避ける人間である。
だから、ニュースで見た時のその反対者団体が、「武力による世論、議会統制を行う組織」の印象をもってしまうのだ。
※以下、この日記に出てくるすべての「遺伝子組み換え」と言う単語は「品種改良」と同義語で使ってるからその辺注意して読めよ。

ここで疑問。
彼らは、普段、何を食べているのだろうか?
小生の中での遺伝子組み換えの定義は、「人為的な品種改良」である。
つまり、ちまちま、他種同士の配合を繰り返すそおうが、直接遺伝子に喝を入れようが、人間の手が加わればもうそれで、遺伝子組み換えなのである。
ただし、「肥料を変えました」「土地を変えました」程度なら品種改良(遺伝子組み換え)には入らないものとする。
この考えに基づくと、スーパーの食品売り場にある、野菜・穀物の多数が遺伝子組み換えされた食品となるのだ。
たとえば、にんじん。
知ってる人はわかると思うのだが、現在日本で流通しているにんじんのほとんどは、すでに、遺伝子組み換えをされたものである。
現在のにんじんは短いにんじん同士の遺伝子が配合されることによって、短くなったからだ。
彼らは、元祖にんじん(品種改良される前)をどこから手に入れているのだろうか?
日本人の主食である米。
うちは、コシヒカリですが、これも、他種との組み合わせて誕生した種である。
彼らは、自分たちの腹を満たす古代米を一体どこから手に入れているのか?
現在流通している豚や、牛の肉だって、他種との組み合わせがあっただろうから、かれらは、きっと、バイソンやイノシシの肉を狩猟によって得ているのだろうか?
犬ではコーギーや、プードルは品種改良によって生み出されたというと、彼らは、ナチスが、ユダヤ人を排斥したように品種改良で生まれた生き物達を排斥しているのだろうか?
そして、彼らは、その運動を小生が今上記したみたいに徹底しているのであろうか?
運動をする上では、暗黒時代のキリスト教みたいに徹底的にやってほしい。
ガンダムSEEDの、「血のバレンタイン」のように、差別感情だけで核攻撃(三発)するような勢いでやるべきだ。
それができないと言うと、拍子抜けするが、そんな組織があったら、見てる分には笑えるが、かかわるのは真っ平御免の助である。
とにかく、この国は言論の自由であるし、自分の「遺伝子組み換え」の定義が、一般定義と大きく外れているのは、文章書く上でわかりきっていることだし。
でも、正直な話をすれば、ニュースを見たかぎりでの反対団体は技術のリスクよりも倫理観を前面に押し出した感じがした。
このことから、上記の一文が小生の脳内から垂れ流したのである。
つまるところ、のりだけで書いていると言うことである。
そして、最後に言うことは、
「なんかツッコミ入れて」